1990年(平成2年)、本を作る人が足りなかった

1990年、出版界では、印刷・製本の現場や、本を運ぶ流通部門で人手不足が深刻になっていました。書店でも、パートやアルバイトの賃金が上がっていました。

運送費や賃金が上がり、専門書のなかには、費用が合わず重版できないまま絶版になるものもありました。

当時の出版記録には、この状況が「本を作れない、運べない」と残されています。

その一方で、ソニーの電子ブックプレーヤー「Data Discman」のような新しい端末も現れました。この端末は8センチのCD-ROMドライブと液晶表示を備え、円盤に収めた辞書の情報を検索できました。

株価が下がり始め、ドイツが一つになり、イラク軍がクウェートへ侵攻した年でもあります。『平成出版データブック』と公的資料をもとに、1990年の出来事と本をたどります。

1990年の主な出来事

時期 出来事
年初 日本の株価が下落へ転じる
3月15日 ミハイル・ゴルバチョフがソ連初代大統領に就任
7月 東京国際ブックフェアが池袋で開かれる
8月2日 イラク軍がクウェートへ侵攻
9月 8cm CD-ROMを使う電子ブック版辞書が発売される
10月3日 東西ドイツが統一。同じ日にフランクフルト・ブックフェアが開幕

人手不足が、本の工程を一つずつ詰まらせた

厚生労働省は、1980年代後半から1990年代前半を、日本の主な人手不足局面の一つとして整理しています。政府統計の長期時系列表では、1990年の全国の有効求人倍率は年平均1.40倍でした。

ただし、この数字は、公共職業安定所が扱った有効求人数を有効求職者数で割ったものです。すべての求人を数えた数字ではなく、全業種、全地域が同じ程度に人手不足だったことまで示すものでもありません。出版界の各工程で何が起きていたかは、当時の出版記録から確かめる必要があります。

本が書店へ届くまでには、原稿を組み、印刷し、折った紙を一冊に綴じ、取次会社の倉庫で仕分け、トラックで運ぶ工程があります。最後に書店が荷をほどき、棚へ並べます。売れ残った本は書店から取次へ返品され、出版社へ戻るものもあります。

『平成出版データブック』によると、印刷・製本の現場では仕事がきつく、危険で、汚れるという印象から人が集まりにくくなっていました。流通では、人手不足によって運送費が上がり、取次会社の配送と返品作業にも支障が出ました。

一人の作業者と二つの空いた椅子、紙と本の箱を描いた挿絵

書店でも、パートやアルバイトの賃金が上がりました。原資料は、それによって書店の経営が圧迫されたと記しています。

影響を受けたのは、新刊だけではありません。原資料には、コストの上昇で専門書を重版できず、そのまま絶版になる例も記録されています。

消費税への戸惑いも残っていた

前年の1989年4月には、3%の消費税が導入されています。『平成出版データブック』の1989年欄には、出版社が在庫本のカバー交換や価格シールの貼付を行い、取次会社が返品、新旧定価商品の仕分けに追われたことが記録されています。

書店員が本のそばで3%の札を扱う挿絵

その対応は1990年にも続きました。『平成出版データブック』が紹介する日本書店商業組合連合会のアンケートには、「売上減」40.7%、「店頭の煩雑さ」43.1%という数字が残っています。

1990年の出版記録には、新しい税への対応と、人件費、運送費の上昇が並んで残されています。

株価は下がり、仕事はまだ忙しかった

1989年12月29日、日経平均株価は38,915円87銭を記録しました。年が明けると、株価は下落へ転じます。

内閣府の景気基準日付では、1986年11月から始まった景気の拡張局面は、1991年2月まで続いたとされています。

株価は1990年初めから下落しましたが、景気の山は1991年2月と判定されています。その1990年に、出版記録は現場の人手不足を伝えています。株価、景気、雇用の動きが、同じ日にそろって切り替わったわけではありません。

世界の変化が、本の題材になった

3月、ミハイル・ゴルバチョフがソ連で新設された大統領職に就きました。8月2日にはイラク軍がクウェートへ侵攻し、国連安全保障理事会は同日、侵攻を非難する決議660を採択しました。

10月3日、ドイツ民主共和国がドイツ連邦共和国へ加わり、東西に分かれていたドイツが統一されました。

東欧の政治変動、ゴルバチョフの改革、ドイツ統一、中東情勢を扱う出版物が多く刊行されたと、『平成出版データブック』は記しています。

日本の本が、統一の日のフランクフルトに並んだ

ドイツ統一の日は、1990年のフランクフルト・ブックフェアが始まった日でもあります。

主催者の記録では、第42回フランクフルト・ブックフェアは10月3日から8日まで開かれました。90か国から8,492の出展者が集まり、38万2,000点の本が並びました。

本を詰めた旅行かばんと地球形の荷札の挿絵

この年のGuest of Honourは日本でした。日本の出版社は、特設会場で1万点の本を紹介しています。日本の伝統文化だけでなく、同時代の文学や出版文化を海外へ見せる機会になりました。

7月には、池袋のサンシャインシティで東京国際ブックフェアが開かれています。『平成出版データブック』は、入場者を13万人と記録し、絶版になっていた外国文学の翻訳書の復刊が話題になったと伝えています。

海外へ本を紹介する催しと、海外の本を日本で復刊する催しが、同じ年に開かれていました。

8センチの円盤に入った「電子ブック」

ここでいう「電子ブック」は、現在のネット配信型電子書籍とは別のものです。

ソニーの1990年年次報告書には、重さ550グラムの電子ブックプレーヤー「Data Discman」が掲載されています。ソニー自身の記載によると、この端末は8センチのCD-ROMドライブと液晶表示を備え、8センチCD-ROMに収めた複数の辞書に相当する情報を検索できました。

「辞書」と表示された初期の電子ブック端末と小さな円盤の挿絵

日本電子出版協会の記録では、1990年9月に研究社が『新英和・和英中辞典』の電子ブック版を発売しています。『広辞苑』や『現代用語の基礎知識』などもCD-ROM製品になりました。

『平成出版データブック』は、この年に12種のソフトが発売されたと記録しています。確認できる初期の製品には、辞書や用語集が並んでいました。

1988年刊の『大辞林』が、平成にも売れ続けた

『平成出版データブック』の1990年欄で、長く取り上げられている本があります。三省堂の大型国語辞典『大辞林』です。

国立国会図書館と三省堂の資料では、『大辞林』初版の刊行は1988年11月。1990年の新刊ではありません。昭和の終わりに発売され、平成に入っても売れ続けた辞書として、1990年の出版史に置かれています。

当時、一冊ものの大型国語辞典では、岩波書店の『広辞苑』が広く使われていました。同じ一冊ものの大型辞典を出しても大きくは売れないという見方がありました。

小さな人が大きな「辞書」を開いている挿絵

ところが、『平成出版データブック』の記録では、『大辞林』の初版18万部は2週間で売り切れ、年末までに40万部を超える注文が入りました。発売から1年後には80万部に達したとされています。

『平成出版データブック』は、『大辞林』の前身となる企画が中断と再開を経たと記しています。ただし、同じ箇所に両立しない年代が書かれているため、企画が始まった年はこの記事では断定しません。

紙の大型辞書が売れ、同じころ、辞書を小さな円盤へ収める電子出版も始まりました。

1990年のベストセラー資料に載る10点

『平成出版データブック』の1990年欄には、次の10点が記録されています。

このなかには、1990年に刊行された新刊だけでなく、1989年以前に刊行され、1990年にも読み続けられた本が含まれています。

著者 書名 当時の出版社表記
二谷友里恵 『愛される理由』 朝日新聞社
盛田昭夫、石原慎太郎 『「NO」と言える日本』 光文社
渡辺淳一 『うたかた』上・下 講談社
井上靖 『孔子』 新潮社
柴門ふみ 『恋愛論』 PHP研究所
シドニィ・シェルダン 『真夜中は別の顔』上・下 アカデミー出版
酒見賢一 『後宮小説』 新潮社
石原慎太郎、渡部昇一、小川和久 『それでも「NO」と言える日本』 光文社
筒井康隆 『文学部唯野教授』 岩波書店
ビル・エモット 『日はまた沈む』 草思社
10冊の本を積み上げて一冊を選ぶ人の挿絵

二谷友里恵『愛される理由』は、この年のミリオンセラーとして記録され、第25回新風賞にも選ばれています。

『「NO」と言える日本』は1989年1月刊です。『それでも「NO」と言える日本』とともに、1990年欄へ入りました。「NO」を題名に含む二冊が、同じ年の読書記録に残っています。

1990年の文学賞と出版賞

芥川賞と直木賞の受賞作は、次の4作でした。

受賞作
芥川賞 第103回 辻原登『村の名前』
芥川賞 第104回 小川洋子『妊娠カレンダー』
直木賞 第103回 泡坂妻夫『蔭桔梗』
直木賞 第104回 古川薫『漂泊者のアリア』
4冊の本と「賞」と書かれたリボンの挿絵

『平成出版データブック』には、このほかの出版賞も記録されています。

第44回毎日出版文化賞では、赤井達郎『京都の美術史』、山内昌之『瀕死のリヴァイアサン』、石田雄『日本の政治と言葉』上・下が選ばれました。

第25回新風賞は、二谷友里恵『愛される理由』と『グレートアーティスト』。第6回梓会出版文化賞は晶文社、特別賞は葦書房が受賞しています。

1990年の出版規模と流通

『平成出版データブック』に収録されている1990年の出版統計は、次のとおりです。

区分 点数 平均定価 発行部数 実売部数 返品率 実売金額
書籍 40,576点 2,764円 139,381万部 92,131万部 33.9% 84,944,611万円
雑誌 3,889点 365円 449,319万部 356,759万部 20.6% 130,217,139万円

前年と比べると、書籍の点数は2.2%、実売部数は2.8%、実売金額は6.6%増えました。平均定価は2,609円から2,764円へ、5.9%上がっています。

ここにある平均定価と実売の数字は、同じ方法で計算されたものではありません。

平均定価は、『出版年鑑』に収録された書目の定価をもとに算出されます。一方、発行部数、実売部数、返品、販売金額は、取次会社の資料をもとにした推計です。

書棚と本の台車、返本箱のあいだで作業する人の挿絵

書籍の実売金額を実売部数で割ると、一冊当たりの実売金額は約922円になります。表の平均定価2,764円は書目ごとの定価をもとにした値で、約922円は販売部数で重みづけされた値です。計算方法が違うため、二つをそのまま比較することはできません。

書籍の返品率は33.9%。推計発行部数約13億9,381万部のうち、推計実売部数は約9億2,131万部でした。

作る人と運ぶ人が足りないなかでも、前年より多くの本が流通へ出され、そのおよそ3分の1が返品として戻ってきました。人手不足は、新刊を前へ運ぶ作業だけでなく、売れなかった本を後ろへ戻す作業にもかかっていました。

紙の本と小さな円盤が並んだ年

1990年のベストセラー資料には、『愛される理由』や『文学部唯野教授』が載り、昭和に刊行された『大辞林』も売れ続けていました。

その本を作る印刷・製本の現場では人が足りず、流通部門でも人手不足が運送費を押し上げていました。店頭には、8センチの円盤に辞書を収めた電子ブックも加わりました。

ドイツ統一やクウェート侵攻を伝える新刊が次々に届き、売れ残った本は返品箱に詰められて戻っていきます。

紙、トラック、液晶表示。1990年の出版記録には、本が読者へ届く形が増え始めたときの、新旧の道具と仕事が一緒に残されています。

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出典

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